死と、それを迎えるまでの期間=人生について

先日、母方の伯父さんの葬式に行ってきた。

母のお姉さんの旦那さんで、70歳を超えても元気に働いてて、会うと威勢のいいカラッとした元気のある声で話すおじさん。
自分とはあまり親しい間柄ではなかったけど、子供の頃は母方なのでよく会ってたし、やっぱり胸にくるものがあったので、思ったことを書き残しておこうと思う。

原因

原因は、ガンだった。
今年の3月下旬まで元気に働いていたにもかかわらず、食欲がなくなったので変だと思って病院に行き検査をしてみると、もう手がつけられないまで転移していて、どうしようもない状態まで進行していた。お医者さんは、すぐ亡くなってもおかしくない、もしかしたら1週間かもしれないし、1ヶ月かもしれないし、分からないという。

痛みで苦しむ日もあれば、薬が程よく効いて比較的穏やかにすごせる日もあって、病院にいる間に会いに行くことができて、会って少し話ができたこと、握手できたことはよかったと思う。


調子が悪いところがあって、毎月のように検査に行っていたけれど、発見されなかったらしい。ガンというのはそういう水面下で進行していく病気とのことで、ガン用の検査をしないと発見できないものらしい。

なので、ガンの検査は定期的にしましょう。(特に身内がなったことがある人は)

死というものの考えかた

とあるブログで、親が子に対していろいろ教える中で一番最後に自身の身をもって教えることが「死」というものだという事が書いてあって、ほんと、なるほどなーと思った。
すごいいいエントリーだったのに、ブックマークを探したのに出てこなくてとても残念。。
# 誰か「これかもよ!?」と知ってる人は教えてください。


死に接するパターンは人それぞれだと思うけど、僕の場合は以下のような感じ。


小学生や中学生、高校の前半ぐらいまでは、死というものを恐れていた。何か得体の知れない、そう、おばけのようなおどろおどろしいイメージがあった。

それから何度かお葬式にも出て、死というものを自然体で考えることができるようになってきた。そりゃ、みんないつかは、いづれ、死ぬよなと。これが20代後半ぐらいかな。


今はさらに進んで、死というものをごく普通の事としてとらえられるようになってきた。

人間はしょせん有機物質のかたまりだから、無機質の鉄や岩石なんかとちがって何かの拍子で簡単に壊れるし、またある程度再生したりもする。イメージ的には、樹木のような感じ。植物も、日光が当たらない場所に置かれたり、水が供給されなかったり、地震や洪水で生存基盤が揺るいだら簡単に亡くなってしまう。

自分という人間もそれと同じで、ある偶然をもって、均衡が保たれているがゆえに生存していると思っている。だから、その環境や生体機能がくずれた時に、死という状態がやってくるのだと。脳の血管が詰まることで生体機能が停止するかもしれないし、川でおぼれて空気が得られないかもしれないし、車の事故で物質的に破壊されるかもしれないし、それは分からないけど。


また自然にもやってくる。生体機能はある時点を境にして、皆確実に衰えていくものであるということ。それは老化という言葉に当たるけど。

葬式の意味

葬式というのは、亡くなった当人のためのものではなくて、後に残る人のためのものだなという事を改めて思った。
近しい人が、その人との決別を心に刻み、前を向いて歩けるように決心をするための儀式なのだと。奥さんや娘さんを見ていて、特にそう思った。

また、人のつながり、親族のつながりという面でも結婚式と同じように「こんな機会がないと会わない」といった意味でもとても大事な意味があると思う。亡くなった後に残された、生きている家族を支えていくのは、その故人の親族や知人だから。

また、こういった事を考えるような機会を皆に与えるという意味でもとても意味あるものだと思う。普段の生活では、死について全く考えないから。。


という事で、葬式は自分にとってポジティブなフィードバックを与えてくれる前向きなものなので、忙しくてもたとえ疎遠でも、ぜひ参加して欲しいなーと思います。

子供に伝えたいこと

子供に言ってあげたい。


生死について20代ではあまり考えなかったけど、今よりは死を身近にあるものだと少し恐れていた気がする。でも人間は、結構生きるものだよ、と。(逆に言うと、人生がつらく厳しいものであっても、なかなか死ねないもので生きていくしかない、とも言えるけど。)
そんな不安に対して意識を費やすよりは、もっと生の質を高めることに使った方がいいよ、と。


ホームページを作る人のネタ帳さんのエントリー 親父よ。あんたは幸せだったのかい? - ホームページを作る人のネタ帳 にあるように、死を目の前にしたとき「いい人生だった」と本人が言えるのであれば、死は全く悲しいものではないと思う。


そうなるように、自分の生の期間を有効に使わないと。
そうなるように、これからも生きていきたいと思います。


そんな感じでした。