人は身近な情報じゃないと問題意識が起きない


んじゃないかなーと思うんです。


問題というのは世の中の至るところにあるけど、たとえばそれを解決するアイデアを持っている人が多数いたとしても、その問題自体がその人達に認識されないままでいると一向に解決しない。
でも逆に、そんなに大した問題でなかったとしても、皆の注目や関心が高かった場合は多くの"人の目"がそこに集まり大きな問題と認識された結果、いろんな人がコメントしたり解決策を提示したり、時にはスーパーアイデアが出てきたり、といった事が起こると思うんです。

これは、Rubyの作者であるまつもとゆきひろさん、ほぼ日の糸井重里さん、任天堂岩田聡さんの対談にもある「ほぼ日刊イトイ新聞 - 適切な大きさの問題さえ生まれれば。」(→ひとりでに解決されてゆく)に通じる考えだと思います。
※3人とも素晴らしい方でかつ対談の内容もとても良いので、まだ読んでない方はぜひ読んでみて下さい。


だから問題を解決するには、当事者に限らず、なるべく多くの人にその情報に触れてもらうという事が大切じゃないかと思うわけです。


「問題があるよ」という事を皆で共有するだけでは意味がなくて、(例えばエコが大事だよね、みたいな)みんな大切だと分かっている問題でもその人の生活に近かったり、具体的でないと問題を切実な問題として認識しにくいんじゃないかと。
そのためには、情報の露出度を上げるだけではだめで、いかに個人の近くに問題を置いてあげることが大切なんだと思います。そうでないと、解決策を考えるまでの頭にはならないんじゃないかなーと。


つまり、"日本を良くするための群衆の叡智"を作りあげるには、より多くの人の身近に、問題を置いてあげないといけないな、と思うわけです。

この点で、日本のサラリーマン(給与所得者)が知らず知らずのうちに源泉税で税金を納付していることは、思考という面での著しい機会損失だと思うので、払っている人がその額を実感としてきちんと認識した上で支出するという仕組みが必要だと思います。(高度経済成長の時代の"多く集めて多く使う"ではなく、適切な量を集めて、適切に使う事が必要じゃないかと。)


■ 適切な場所への配信も必要

日本を良くするための思考共有ツール(仮)としては考えなきゃいけない点がいくつもあるけど、質の良い情報や解決策を集めるだけでなく、適切な場所に配信するしくみが必要ではないかと思います。

そのためには皆が書きやすく読みやすいツールでないといけないので、ブログ並みの使い勝手で誰もが編集しやすく発信しやすいツールである必要があると思ってます。


また、webはTVや新聞など他のメディアと可処分時間を取り合っているけれども、webの中でもtwitterなんかと可処分時間を取りわなきゃいけないライバルになるんですね。1日の思考における可処分思考時間の取得比率を上げないといけない、という点も考える必要があります。

でも、社会問題(に限らず)問題を解決することに対して興味がある人も居るはずだし、そういった問題を解決したい人が使いやすいツールで、言論や論理的な思考を検討しやすいようなツールをイメージしてます。またSNS的につながることで、案やアイデアをすばらしくブラッシュアップできるようなツールにしたいと思ってます。


そんな感じ。