日本のWebが残念なのは、実社会が残念だから

梅田望夫さんのインタビュー記事 日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) (1/3) - ITmedia NEWS に端を発した日本のWebが「残念」な件について、僕がとても共感したのはAMN徳力さんのエントリーです。


日本の"Webが"残念というけれど、Webに流れ出てくる言葉はそれをサポートするシステム(環境)を含めて日本に生きている人たちから発せられるものだから、「日本のWebが残念=日本の実社会が残念」という事と同じじゃないかと思います。もちろん、ネットのリテラシーが高い若い人たちが母集団だという偏りはあるだろうけど。


という事なので、日本のWebが残念な件で僕が思うこれじゃないかな? と思う「残念」の根本的な理由は、"日本のウェブでの発言が、ナチュラルポジションを基準としたらネガティブ寄りの発言が多いから"じゃないかと思うのです。

ワイドショーや週刊誌なんかのマスメディアも全部そうだけど「こんなひどい事をしている (けしからん!)」とか、「こんな癖がある (公人としてなってない!)」とか、他人をバッシングする情報であふれてると思うんです。
僕個人としては、こういった他人を攻撃する言葉やスタンスは嫌いなので、電車の中吊りを見るたびにげんなりするんだけど、みんなはこういうの好きなのかなーといつも疑問に思います。
ブログに対するコメントとかでも、「わかってない (知らないくせに知った口利くな!)」 みたいなネガティブなものが多いと思います。
多いというのは誤解かもしれないけど、割れ窓理論でそういったネガティブな発言っていうのは数が少なくても目立つし伝染するから、少ないに越したことはないと思うんだけど。


もちろん批判自体が悪いってわけじゃないです。
悪い点を指摘すること自体はいいことなんだけど、非難で終わってしまってはそこで思考停止してしまうから、指摘するだけでなくて「どうしたら良くできるか」という考えとセットで言ったらいいんじゃないかと思います。
つまり、
 「今はこうなっているからダメ
ではなくて、
 「今はこうなっているけど、ここをこうすると良くなると思うよ
という風に言ってあげることはできないものかなぁ、と。


会社なんかでも「建設的な提案を伴わない批判はただのヤジ」と言うけれど、まさしく社会全体がそんな状態じゃないかと思うんです。なんと言うか、日本の社会全体が総じてコーチング力がないというか、加点法で判断してあげないというか、ポジティブでないというか。

でもこれは、日本の村社会から受け継がれてきた思想で、遺伝的に染み付いてしまっているものじゃないかと思うのです。だから、まずは自覚しないことには変えられないものではないかと。
日本式の思想にはもちろんいい所がいっぱいあって(いやむしろいい所の方が多いと思う)、他人に対する思いやりとか、礼儀とか、和を尊ぶ精神とか、とても大事なものは一般教養として皆が心の底に持ちつつも、人を"ほめて伸ばす"という思想を持つことが大事なんだと思います。

この思想を日本社会として持つことができたなら(個人がこういった思想を持つように教育とか社会の仕組みをつくることができたなら)、他国にはまねのできない素晴らしい社会になる気がするんだけど、どうでしょうか。


日本のWebに溢れ出る発言が、「ここがダメだね。でも良くしなくっちゃね!」とか、「ここがダメだけど、こうしたらもっとよくなると思うよ」とかすべてポジティブな発言で溢れると、その結果がポジティブに回りだして、結果として日本が残念じゃなくなると思うのです。


だからね... 皆がその思想を良しとして、そうなるように社会の枠組みを作っていきましょうよ!


と、言った手前無理やり提案ふうに言ってみた。

そんな感じ。