日本をよくするための思考共有ツール(仮)
えっと、考えてることはいろいろあるけど、全体として説明できる内容には全然まとまってないです。その内容をまとめようと何度かしてみたけど、それをしてると(全然まとまらないため)一向にブログに書けないというジレンマが。
そこで、AMM徳力さんのエントリー[徳力] 日本のウェブの残念度を下げるために、私たちができそうな7つのこと+αにならって、まずはドラフトアウトプット!という事で、こんな戦略を考えてみました。
日本をよくするための思考共有ツール(仮)の進めかた
- 思いつくところをとりあえずブログに書いていく ←イマココ
- ツールの全体像が出来てきたら、まとめてみる (&似たようなツールがないか調べてみる)
- 全体像をベースに、実際に作る過程へ
「似たようなツールがないか調べてみる」を2番に持ってきたのは、リサーチを同時に進めてしまうと自分が持っている考えがブレてしまう可能性があると考えたから。
商用として売る事を目的としたツールの場合は、市場に似たようなものがあるとそれが致命傷になりかねないけど、今回は商用でもないし、スピードもそんなには重視しなくてもいいのかなーと思うので。
3番の工程になったら、皆で議論しつつブラッシュアップできるといいなーと思っています。
では今回は何を書くかというと、"ツールによってめざす効果"について。
僕が28歳ぐらいの頃からずっと思っていることだけど、国会ってうまく機能しているの? という疑問があります。これは否定するとか必要ないとかいう訳じゃなくて、もっといいやり方があるんじゃないの? ということです。
僕もちきりんさん(こちらのエントリー→2009-06-23)と一緒で、歪んだ部分はあるものの、今の日本はすばらしいと思います。また、世界の中で今の日本があるのは、戦後に日本を造ってきた、下支えしてきた自分より年上の人達のおかげなのは確かなので、その部分では無条件に感謝すべきだと思います。
でもね、時代が変わればやり方も変えなきゃいけないのは確かなわけで。
話を戻して。
国会は、僕のイメージでは「国権の最高機関」というだけあって、さぞかし頭のいい人達が集まって、実測値やシュミレーションに基づいて設計された数あるプランの中から、瞬時に、合理的かつクレバーな選択を行って国の枠組みルールを決定するところなんだろうな、なんて思ってました。
でもね、TVから流れてきたのは質疑応答中のヤジ、寝てる人、採択時に党レベルで欠席、しまいには(もうないとは思うけど)牛歩ですよ、牛歩。
もうね、(時給換算したら)どんだけお金もらってる人が、国権の最高機関の一員が、あたま悪いやり方やってんですか。アピールとか、もう要らないから。だいたい、そんな事に使ってる時間はないでしょ、と。
いい案というのは、ITのおかげで瞬時に皆の手まで届くようになってます。
そしてwebはデータベースなので、いい案というのはひとたび発信されるとweb上に残り続けるし、だれでも参照できるのでそれを参照した他人がもっといい案に改良することもできると。
つまり、いい案を集めるための人手や組織は、効率を考えてもコストを考ても、もはや割に合わないだろうと。
だから、こうなればいいと思うわけです。
- 議員や視察団体などは一般レベルではできない調査や視察など*1行って、webに判断材料を提供する
- 案づくりはweb*2に任せて、webは無数のナイスプランをいくつも作る。
- 国権の最高機関たる国会は、それらの案のうち本当にいいのはどれかのディシジョン(決定)を下す。*3
"こうしたい"じゃなくて、あくまでも"僕としてはこうなればうまく行くんじゃないかなー"という意見です。ひょっとしたらそうなる未来が来るかもしれないし、来ないかもしれない。
でも、そうなった時に「使えるツールが存在していること」は、いい事だと思うのです。
というわけで、日本をよくするための思考共有ツール(仮)は、こんなところを目指して作ります。
そんな感じ。
日本をちょっと良くしたい
IT:つまりデータやプログラムは、存在するだけでは何の意味もなさないけど、人の手やプログラムによって生み出されたデータを活用することで、世の中を(その「何か」がない時よりも)ちょっといい方向に向かわせることができると思う。
自分は世の中を変えるつもりも、そんな力もないけど、自分が何かに関わることで(自分が関わらない時より)"ほんのちょっと"日本を良くすることができたなら、それはとても嬉しいことだと思う。
そんな事に貢献したいと思ってます。
日本を良くしたいと思ってる(けど実際のアクションへは移せてない)人って、実はたくさん居るんじゃないかなーと思うんだけど、、、どうなんだろう。
そうなんだよ!という方、いらっしゃいます?
こんな考えを持つようになったのは、ある記事のいい影響を受けて。
参加したカンファレンスでお話を聞いたアジャイル・メディア・ネットワーク(AMN) の徳力基彦さんがすばらしい方だったので、ブログをリーダーで読ませて頂いていたところ、そちらで紹介されていた百式の田口さんのインタビュー記事です。
ITは、いま──個人論「みんながちょっとずつ頭がよくなる世界」──「百式」を運営するビジネスマン - ITmedia NEWS
田口さん、感動的にすばらしい考え方の持ち主!
この記事はインターネットにおける金言的な記事で、かつ、世の中にポジティブな影響を与え続けると思うので、ぜひ残しておいてほしいなーと思います。
僕は幸運にも、田口さんと直接お会いして話ができる機会があり、一度だけお話しましたが、想像通り、気さくで頭の回転が速くポジティブマインドのすばらしい方でした。
こんな風に、いい影響がちょっとずつ広がるといいなーと思います。
そんな感じ!
転職にあたって、自分の人生をかけてやっていく仕事について改めて考えてみた
去年の話だけど、自分達でやっていた会社をCloseすることにした結果(会社がなくなってしまうので)転職しなきゃいけないって事になって、その結果、自分の人生を見つめなおすいい機会がありました。
社会に出てからまだ10年ちょっと。
でもこの先65まで働くとすると、まだ30年も働く期間があるなーと。この先の30年を予想してワーキングプランを立てれればいいけど、実際にそれはムリだなと。
考えて考えて・・・自分が出した結論は、こんな感じ。
- IT業界の10年前を考えれば分かるように、この業界の10年後は誰にも予想できない。
- (予想してもあまり意味はない)
- でもどんな状況になっても、必要とされる人材であり続ければいいだけ。
- てことは、パラダイムが変化してもそれに対応したスキルを磨き続ければいいとゆーこと。
- (逆に言うと、そうでないと使えない人になるかも)
- どうせやらなきゃいけないのなら、自分が楽しいと思う(やる気の出る)仕事がいいな。
- IT自体は、電気・ガスや水道のような生活インフラの仕事になっていくんじゃないかなぁ。
■ 結局、自分が楽しいと思う仕事って何よ?
今までやってきた事がSE/プログラマだし、自分がやりたくてやってきた事なので、能力を発揮できる(=社会から買い値がつく)のはやっぱりSE/プログラマなんだろうなと。
プログラマのタイプもいろいろあると思うけど、
- 調査から完成までのプロセスの「作ること」自体が楽しい人 (知識欲と達成感が満たされるみたいな)
- 作ったものが他人に役立った結果として、それを「喜んでもらうこと」がうれしい人
- あと何だろ、分かんないや。。
僕はこの、2番のタイプです。
作ったものが実際に動いて、その結果として「喜んでもらう」ことが一番うれしくもあり、やりがいを感じます。だから、そんな風に思える仕事がいいなという事に。
■ けんじろうさんが素敵すぎる
そんな中で見つけたエントリーが、こちら。
このエントリーの上段、「私の将来の夢は」の部分。これを見て、この人本当にすごいなー!ととても感動しました。(こんな大人の人は、周りに居なかったもんで。。)
このエントリーを読んだ事がきっかけでいろいろ考え初めて、
- 何で僕は自分にこんな力はないとあきらめているんだろう →自分もできる事があるのでは?
- 転職ってちょうどいいチャンスだよね。
- 自分が受けてきた恩を、そろそろ周りに返す年齢じゃない?
- 自分がやりたいことは「喜んでもらう」ものを作ることだ!
- そうだ、自分が関わらないときよりもほんの少しだけ、日本を良くしたいな。
と、自分がライフワークとしてやって行きたい事を見つけたのでした。
けんじろうさん、本当にいいエントリーをありがとうございます。ブログの文面からも分かるように、素晴らしい人柄なんだと思います。(もし身近にいたなら、確実に自分のロールモデルになっていただろうなと)
いつの日か、お会いしてみたいなーと思います。
■ 人文知
今日、風観羽さんのエントリーで"人文系"という言葉を始めて知りました。この言葉は今まで全く知らなかったけど、僕がツールで実現したいのはまさしくこの事なんだな、と。
webの業界は、ポジティブで、頭がよくて、僕のような凡人では足元にも及ばないすごい人たちが集まっているけど、今のweb業界が向いてる方向を(オレ基準で)大別すると
- 広告やCommerceなどの商業系
- 面白さやつながりを楽しむFun/Funny系
- 知識や考え方を共有して社会を向上させる社会系
に分けられるんじゃないかと思います。そして今は、どちらかと言うと1・2番に偏っているんじゃないかなーと思うんです。
ま、3番は普通に考えると企業ではなく国や自治体の仕事になるし、儲けが期待できる分野ではないから、企業やエンジニアに対する求心力がないので、当然と言えばそうですけど。。
でも、僕はこの3番をやりたい。
webで一通り何ができるかが見えてきたこの辺で、"面白い"を目標にするんじゃなくて、社会を快適にするとか、日本を良くする方向に群集の叡智を活用していい頃なんじゃないかなーと思います。
そんな感じ。
やりたい事があるなら、ちょっとだけ手をつけよう。
去年の11月頃に思いついたアイデアを実現したいなーと思ってはいるものの、なかなか日々の実行に移せない(ダメ人間)。でもやらなきゃ!と思うようになりつつあるので、自分の心境を整理してみようかなと。
やりたい事というのは、形はまだ決まってないけど、たぶんweb系のツールになるんじゃないかなと思ってます。
やった方がいいと思うのに、なかなか実行に移すことができない。その原因は何かな?と考えてみたところ、ざっと以下のようなことが思い当たりました。
- 日中普通に働いて帰ってくると疲れるので、お風呂に入ってごはん食べると→やる気が出ない
- 2歳の子供がいるので、家に帰ったなら家族のコミュニケーションもしたいし、家庭の事に少しは力になりたい→家に帰ってもまたパソコンはないでしょーみたいな
- さぁ、始めよう!と思っても、環境が整っていないとか片付いてないとかで、それらに手をつけてしまって、結局時間がなくなって→諦めてしまう
まさしくダメ人間じゃん。。
特に3番なんかは、せっかくブログ/勉強会用にネットブックを買ってもらったのにインストールや環境設定、公衆無線LANの設定やらを済ましたところで「やることやった」みたいな気になってしまって、肝心のブログが進んでません。たはぁー。(><)
そんな感じで進んでなかったけど、ちょっと勇気をもらうエントリーを見つけました。
そうそう、まさしくこの通りだと!
「書くからにはきちんとやらなきゃ!」なんて思ってるから、一向に筆が進まないのだと。ブログは確かにPublish(出版)ツールだけど、見方を変えればただのオンラインの日記なんだし、自分にとっては「自分だけが分かればいいや」的な感覚で、「とりあえずメモっとこう」ぐらいの気持ちで書くのが一番良さそうです。
そう考えると、
- 日々忙しいって言っても、残業250時間ぐらいしてた時期に比べたらかなりの時間はあるはず。
- 家だと落ち着かないのなら、仕事帰りのマックで30分ぐらい書いてくればいい話(クーラーも効いてて涼しいよと)。
なんて、考え方もできるかなと。
でも実は一番、"やらなきゃな!"と思った理由は、やっぱりそれをやる事の意義を思い出したから。どんな事かと言うと、
- 自分に力(文章力、技術力、コミュニケーション力など)がつく
- (心理的な面で)奥さんや子供によい影響がある
- 仕事のスキルにフィードバックされるので、仕事の能力が上がり、家庭の収入にも貢献する
- ツールや活動が、(ほんのちょっと)世の中のためになる
- その結果、(ほんのちょっと)子供世代のためになる
なんて思ってます。まだ何もやってない現時点では、すべて希望ですけど。
それに対してマイナス面と考えられるのは、自分の時間だけ。
これをマイナスと受け取るかどうかも考え方次第で、
- 毎日ちょっとずつ作り出した時間の結果メリットが蓄積された未来と
- それをしない事によってあまり変わり映えのしない未来、
どちらを取るの?という解釈もできるので、もうこれは「すべき事」、いやもっと言うと、「しなきゃいけない事」だと思いました。未来は分からないけど、僕はそれを信じることにしようと。
なもんで、肩の力は抜きつつも、こんなスタンスでコツコツやっていこうと思います。
ほら、ほんのちょっとのつもりがまるまる1エントリー。(笑)
そんな感じ。
エンジニアの未来サミット0905に行ってきました
5/2523(土)に秋葉原のUDXカンファレンスで行われた、技術評論社(gihyo)主催、パソナテックがスポンサーのカンファレンス0905:エンジニア・サバイバル | エンジニアの未来サミット … 技術評論社に参加してきました。
勉強会のノリで行きましたが、カンファレンスは視聴がメインでちょっと違う感じですね。
皆さん色んな目的で参加されたと思いますが、僕のブログは自分の子供向けなのでw 僕が感じたところを残しておこうと思います。
1部 「第一部:おしえて!アルファギーク─エンジニアが幸せになる方法」
僕は実は、ナマdankogaiが見たくて2部を目当てに申し込みました。
というか見ることが目的ではなくて、ナマで話してるその姿や言動を"感じる"ことで気づきや活力をもらおうというのが本当の目的。おまけに金曜までの疲れをひきずったまま「土曜早く起きたくないなー」なんて思って2部から行こうかどうしようか迷っていたけど(結局ちゃんと行った)、結果的には1部が聴けてとても良かった!です。
まず、よしおかひろたかさんの入りがうまいなー!と感動。
参加者に挙手してもらい、会場の年齢構成を確認してから「こういった方々に向けて話をしていくという事で」と、パネラーの方々に振ってました。このおかげで入りがとてもスムーズだったんじゃないかなーと思います。
ちなみに年齢層のほうは、20-25歳、25歳-30歳、30歳以上という区分でしたが、30歳以上が一番少なかった事は確かw
よしおかさんが言った、「技術がOpenSourceになりコミュニケーション手段が開かれたことで、組織にとらわれることなく作ることができるすごい世の中になった」という発言には、確かに、なるほどと。
「自分の意思」が自分のキャリアを作れるようになったというのは、希望が持てる反面、自分の意思があやふやだったりされるような人にはとても厳しい状況が待っているという事でもあるから、今回のメイン対象の社会人1〜2年生にとっては厳しい現実だなぁ、と思ってもみたり。
でも確かに、この傾向はいっそう強くなるという事は確実だろうなーとも思います。
谷口公一(にぽたん)さんの、宮川達彦さんをロールモデルに設定してそれを目指して...という話を聞いたとき、「うん、これが大事だよな!」って思いました。
エンジニアだけじゃなくて、人生の生き方においてでも同じことが言えるなと。このロールモデルが設定できるかどうかで、効率も成長スピードも楽しさも何倍も違うと思うから、実はこれが一番大事では!?と思ったりして。
次回は「ロールモデルの見つけ方」なんてテーマでやったらいいんじゃないかと。
#というのをアンケートに書いてみました。
楠正憲さんの話はサイコーでした。このカンファレンスで一番テンションがあがった!
話を聞いてて、技術者の中でも社会的な面から物事をよく考えてる人だと思いました。
ブログを書く意味についての、
「間違った情報を発信するとしても、自分が間違った認識のままいることの方がデメリットが大きい。どこに敵がいるか分からないけど、"どこに味方がいるかも分からない"。だから発信するのが大事」
という話や、
よしおかさんが振った「実社会も同じ。法律もPublicDomainだね。」という事への意見として
「法律と1つだけ違うのは省庁間の非公式のドキュメントとか、部会とかで決めているので公開されてない。
この、Openになっていないという事が問題を生んでいるという認識なんだと思います。」
なんて発言も。
すげー!自分と同じ考え。おもしれーー!!
1部聴けて良かったー!
楠木さんサイコー、テンション上がりました。
ちょっと前から、そろそろ僕も他人に与える人になりたいなと思い始めたのと、子供が生きる社会をちょっとでもよくしておきたいなーと思ったりするのもあって、とあるもの(webサービスかな?)を作りたい構想があるにも関わらず全く進んでなかったけど、かなりやる気をもらいました。
ほんと、ありがとうございます!!
2部 「弾 vs. 個性派エンジニア ─サバイバル討論」
皆さんそろいも揃って能力が高い人たちばかりでした。
こちらは各人の印象に残った言葉について。
山崎徳之(zaki)さん:
話の面白さと伝える能力の高さに感動。話を聞くだけで、本質的に能力が高い人なんだなというのが伝わってくる感じ。
「社会人の始めに営業を2年ぐらい("営業が見えた!"と思えるぐらいまで)やった方がいい。
エンジニアになりにくいというデメリットを認識した上で。」という話は、僕も同じパターンだったのでかなり共感。でも「技術職で採用します」って言われて入社を決めたのに営業になった(された)という意識だったので、入社1年で辞めてしまいました。
その当時は後ろ向きの考えだったけど、しばらく経つと本当にいい経験をしたと思います。
思考の形成としてはとても有効なキャリアパスだと本当に思うけど、もしポジティブな誠意のある配属をしてくれない会社に当たってしまった場合は人生がとてもリスキーなものになるので、僕個人としてはあまりおすすめできません。(笑)
zakiさんみたくタフで自分で人生を切り開く能力がある、と自負してる方にはお勧めです。:-)
高井直人さん:
「勉強会は知識を得ようとしてるうちはシロート。発表する立場になってナンボ」の発言を聞いて、うわヤバい!
毎日疲れたとか言って寝てないで、自分が思ってる構想をやらなきゃ!と思いました。
閑歳孝子さん:
「自分の名前でOutputを出すことが大事。それによって人生が変わる。」
「後輩とか他の人に伝達して、思うとおりにやってもらうことが難しい」という話については、個人的には、伝達すべきことをしたならば多少自分とやり方や結果が違っていても相手に任せればいいんじゃないかなーと思います。(社長が後任を育てて交代するように)
井上恭輔さん:
「勉強会は発表する立場に立つべき。OUTPUTの場。やるべき。」
うは!
米林正明さん:
「人によって地頭が違うし、その人に合った理解のし方がある。」
なるほど、なるほど。
パソナセッション
2部が終わった直後から(みんなを帰さないようにやや強引に思えた)パソナセッションが始まりました。
スポンサーをされたパソナテックの目的は、技術者の登録。企業としては当然求めるべき見返りですが、「登録すればQUOカードをあげる」という条件が個人的にはとてもひっかかりました。プレゼンターの方がうまかったのでそんなに悪い印象ではなかったですが。
なぜ違和感があるかというと、連絡先を渡すとこちらが必要としていない時でもコンタクトが来るという部分が「勧誘」に似ていて、会社をやってたときに必要もないのによくかかってきた電話の「採用のご予定は?」とか、「ご移転の予定は?」とか「金買いませんか?」とかにダブるからです。
そこでもっといい方法を考えました!
パソナテックのwebサービスとして、登録も利用も無料の「キャリアカルテ」のようなものを作る。技術者は転職が当たり前になった(転職できない技術者やばい)ので、その時に出す自分の経歴を残しておけるサービス。
技術経歴書を更新するのは結構面倒なので、webサービスのキャリアカルテでどこからでもちょこっとずつ更新して管理しましょうというもの。将来転職するか分からないうちから自分の技術経歴を積み上げていくことで、自然と自分のキャリアが積み上げられていって、SNS的な使いたくなる交流機能なんかあっても楽しそう。
#ブログレーダーのような、自分の強みと弱みが分かる分析とかもできそう。
でも、このサービスの登録情報を通じてはコンタクトをしない。
純粋に、利用する技術者本人のためのサービス。
なんだけど、技術者がいざ転職しようかな!って思った時には、そのサービスを通じて簡単にパソナテックにコンタクトを取ることができるというもの。
パソナテックにとっては、意思のある技術者の登録がすぐされて、その詳細な情報が手元にあって、他社より確実に優位な立場かと。技術者にとっては、キャリアが残せたり、(あとはサービスの内容によるけど分析や希望したセミナー情報などが手に入ったり、サービスを通じて同じ分野の他の技術者とコンタクト取れたりと、いろいろ楽しいことになるかと。
そんなのどうでしょう!?予算もあるそうですし。(笑)
自分的まとめ
- ロールモデルを見つけることが大事
- 自分が楽しい/うれしいと思うことを知っていることが大事
- 基礎体力をつけるという意味で、本を読むリーディング能力が大事
- 必死になるきっかけ=自分のスイッチの入れ方を知っている事が大事
- 自分の名前でOutputを出すことが大事 <それによって人生が変わるから
自分の考え方を確認する意味でも、活力をもらう意味でも、とてもためになったカンファレンスでした。
最後に、パネラーの方々、スポンサーや関係者の方々、ありがとうございました!
そんな感じ!
死と、それを迎えるまでの期間=人生について
先日、母方の伯父さんの葬式に行ってきた。
母のお姉さんの旦那さんで、70歳を超えても元気に働いてて、会うと威勢のいいカラッとした元気のある声で話すおじさん。
自分とはあまり親しい間柄ではなかったけど、子供の頃は母方なのでよく会ってたし、やっぱり胸にくるものがあったので、思ったことを書き残しておこうと思う。
原因
原因は、ガンだった。
今年の3月下旬まで元気に働いていたにもかかわらず、食欲がなくなったので変だと思って病院に行き検査をしてみると、もう手がつけられないまで転移していて、どうしようもない状態まで進行していた。お医者さんは、すぐ亡くなってもおかしくない、もしかしたら1週間かもしれないし、1ヶ月かもしれないし、分からないという。
痛みで苦しむ日もあれば、薬が程よく効いて比較的穏やかにすごせる日もあって、病院にいる間に会いに行くことができて、会って少し話ができたこと、握手できたことはよかったと思う。
調子が悪いところがあって、毎月のように検査に行っていたけれど、発見されなかったらしい。ガンというのはそういう水面下で進行していく病気とのことで、ガン用の検査をしないと発見できないものらしい。
なので、ガンの検査は定期的にしましょう。(特に身内がなったことがある人は)
死というものの考えかた
とあるブログで、親が子に対していろいろ教える中で一番最後に自身の身をもって教えることが「死」というものだという事が書いてあって、ほんと、なるほどなーと思った。
すごいいいエントリーだったのに、ブックマークを探したのに出てこなくてとても残念。。
# 誰か「これかもよ!?」と知ってる人は教えてください。
死に接するパターンは人それぞれだと思うけど、僕の場合は以下のような感じ。
小学生や中学生、高校の前半ぐらいまでは、死というものを恐れていた。何か得体の知れない、そう、おばけのようなおどろおどろしいイメージがあった。
それから何度かお葬式にも出て、死というものを自然体で考えることができるようになってきた。そりゃ、みんないつかは、いづれ、死ぬよなと。これが20代後半ぐらいかな。
今はさらに進んで、死というものをごく普通の事としてとらえられるようになってきた。
人間はしょせん有機物質のかたまりだから、無機質の鉄や岩石なんかとちがって何かの拍子で簡単に壊れるし、またある程度再生したりもする。イメージ的には、樹木のような感じ。植物も、日光が当たらない場所に置かれたり、水が供給されなかったり、地震や洪水で生存基盤が揺るいだら簡単に亡くなってしまう。
自分という人間もそれと同じで、ある偶然をもって、均衡が保たれているがゆえに生存していると思っている。だから、その環境や生体機能がくずれた時に、死という状態がやってくるのだと。脳の血管が詰まることで生体機能が停止するかもしれないし、川でおぼれて空気が得られないかもしれないし、車の事故で物質的に破壊されるかもしれないし、それは分からないけど。
また自然にもやってくる。生体機能はある時点を境にして、皆確実に衰えていくものであるということ。それは老化という言葉に当たるけど。
葬式の意味
葬式というのは、亡くなった当人のためのものではなくて、後に残る人のためのものだなという事を改めて思った。
近しい人が、その人との決別を心に刻み、前を向いて歩けるように決心をするための儀式なのだと。奥さんや娘さんを見ていて、特にそう思った。
また、人のつながり、親族のつながりという面でも結婚式と同じように「こんな機会がないと会わない」といった意味でもとても大事な意味があると思う。亡くなった後に残された、生きている家族を支えていくのは、その故人の親族や知人だから。
また、こういった事を考えるような機会を皆に与えるという意味でもとても意味あるものだと思う。普段の生活では、死について全く考えないから。。
という事で、葬式は自分にとってポジティブなフィードバックを与えてくれる前向きなものなので、忙しくてもたとえ疎遠でも、ぜひ参加して欲しいなーと思います。
子供に伝えたいこと
子供に言ってあげたい。
生死について20代ではあまり考えなかったけど、今よりは死を身近にあるものだと少し恐れていた気がする。でも人間は、結構生きるものだよ、と。(逆に言うと、人生がつらく厳しいものであっても、なかなか死ねないもので生きていくしかない、とも言えるけど。)
そんな不安に対して意識を費やすよりは、もっと生の質を高めることに使った方がいいよ、と。
ホームページを作る人のネタ帳さんのエントリー 親父よ。あんたは幸せだったのかい? - ホームページを作る人のネタ帳 にあるように、死を目の前にしたとき「いい人生だった」と本人が言えるのであれば、死は全く悲しいものではないと思う。
そうなるように、自分の生の期間を有効に使わないと。
そうなるように、これからも生きていきたいと思います。
そんな感じでした。
国づくりって、システム開発と似てるよね?
今日、仕事でシステム開発の要求定義について調べていて、家に帰ってきてからふと思ったこと。
"国づくりって、システム開発に似ているなー"
ということについて。
システム開発については、知ってる人は知ってるけどとても難しいんです。
何で難しいかっていうと、物体として形のないものを作るからというところが大きいんじゃないかな。
(参考)
id:LukeSilvia さんが、Rubyという言語の作者のまつもとゆきひろさんのセミナー内容をまとめてくれたエントリー
まつもとゆきひろ氏が語る「ビューティフルコード」セミナーに行って来た - LukeSilvia’s diary
カタチがある製品(例えば単純すぎだけど財布とか?)は、これで行こう!と生産を決める前に、実際のモノを手にとって見れるのであまり間違いがないじゃない。
でもシステムって、カタチがないうえに挙動がそれはもう幾通りもあって、見る人の感じ方もその人の数だけあるってものなので、こう思ってたのに!(違うじゃん!)ということが多発するという、それは発注側にも製作側にも苦労が多いものなんですよ。
今では、システム開発の各フェーズにおける方法論なんかも、みんなが苦労して、失敗して、考えた結果それなりに体系だてられたものがあるけど(でもこれが正解!という方式はなくて、いくつかの方法論がある状態だけど)、前はそうじゃなかったんだよね。
過去の話はさておき。
何で国づくりがシステム開発に似ているかっていうと、国(=政治)における意思決定の部分がシステム開発での要求定義に似ているなーと思ったのです。
どう似ているかもうちょっと説明すると、ソフトウェアの開発では下のように業務が進んでいきます。
- ビジネス検討: 「何したいよね」って漠然と思ったのを→やるぞ!にするとこ
- 要求定義: 「こんなのしたいんだけど」ってところを作るとこ ※ここの部分
- 要件定義: 「今回の開発では最終的にこうならないととダメだよ」と決めるとこ
- システム設計: んじゃ、こんな機能/操作性/運用ができないとダメだね。こう作るよ!
- システム開発: 作りますよー。できましたよー。
- テスト: うん、大丈夫ですねー。
- テスト運用: 使えるかな?いけるかな?
- 実運用(保守運用): 常に使える状態に保ちますよー。
この2.要求定義というのがくせ者で、発注側と開発側の境界があいまいなんです。
開発者側からすると、
「作りたいものは自分たちに聞かれてもわかんないよ。だって、自分たちが作りたいわけじゃないし。。お金を出してでも(システムを)作りたいって思ってるんだから、作りたいものはそっちが持ってるんでしょ?」
という感じ。
で、発注者側からすると
「自分たちの仕事は分かるけど、システムで出来る/出来ないとか、どれぐらい難しいとか、どこら辺までやったら(割りに合わないほど)お金がかかるとかって分かるわけないじゃん。だっておたくらがコンピュータの専門屋さんでしょ?」
という理論です。
両方の言い分が合ってるので、この思いをお互いが譲らないままシステムが出来あがっちゃうと出来あがったシステムが「なんじゃこりゃ!」になるわけですね。さらに難しいのが、エンドユーザー自身が実際に出来上がってみないとその良し悪しを判断できないというところ。
でも、その要求定義も「工学」化が進んでいるらしいです。
(参考)
- 要求工学: 上流工程の問題解決 要求定義編【前編】 | 日経 xTECH(クロステック)
- コタツモデル: 要求開発とコタツモデル(2)--アンチパターンを活用する | 日経 xTECH(クロステック)
うまく行くためには
- エンドユーザーが自分がしたいことをよく理解していない
- エンドユーザーの中でも、立ち位置によって希望や要求が違う
- その状況になってみないと本当にいいかどうか分からない
などの点を、工学を用いて解決しようという試み。
システム開発のプロセス化が進んでいるのは、
- 開発時と、それから先の運用において
- お金を出す人が最大限の費用対効果(効率、満足度)を求めて、
- 依頼を受けた側もそれにコミットしたい
という、「結局みんなが満足するには」の視点で見ているからじゃないかなと。
これを国に当てはめてみると、
- 制度や仕組みの決定時と、それから先の運用において
- 国民が最大限の費用対効果(効率、満足度)を求めて、
- 国会議員や全ての公務員もそれにコミットしたい
ということかなと。
要求定義について、自分もそうだよなーと思うのは
「要求はオーナーの意見も大事。現場の意見も大事。でも発注者だけがまとめられるものでもないし、開発者の判断も大事。3者が一番よいと思うものを手探りで導き出すことが大切。」みたいなやつ。要求はユーザーの意思決定者と、ユーザーの実務担当者と、開発者が同じコタツに付いて(ひざを突き合わせて)一番いいと思う結果を出す方がいいという"コタツモデル"とか、
開発者の視点での開発(機能重視の開発)だけじゃだめで、エンドユーザーがどう感じるか、どう思うかを判断基準に置いたユーザー中心という開発の考えかたなどが正解に近いのかなと。
これも国に例えてみると、
「制度は国民の意見も大事。行政の意見も大事。でも国民だけがまとめられるものでもないし、国や行政の判断も大事。3者が一番よいと思うものを手探りで導き出すことが大切。国(立法)の視点での制度化だけじゃだめで、国民がどう感じるか、どう思うかを判断基準に置いた国民中心という政治の考え方」
みたいになります。
うーん、どれもいい感じ。(笑)
個人的にこうなればうまくいくよなと思うパターンは、こんな感じです。
- 発注側が乗り気。(うまくいく方向に協力しますよ!みたいな姿勢)
- 受注側の開発者レベルが高い
- 最小の工数で最大の効果となるように常に考えて実践
- 勉強し続けていて、常によりよい方法をためす
- 責任を押し付けあわない
- お互いプラス思考
- もし問題が起こっても、問題自体を悪として両者協力して解決する
のような感じ。
これも国に例えてみると、
- 国民が乗り気。(うまくいく方向に協力しますよ!みたいな姿勢)
- 国会議員の能力が高い
- 最小の税金で最大の効果となるように常に考えて実践
- 勉強し続けていて、常によりよい方法をためす
- 責任を押し付けあわない
- お互いプラス思考
- もし問題が起こっても、問題自体を悪として両者協力して解決する
みたいな。
こうなるように(というかこう"したくなる"ように)、制度を作ればいいと思うわけですよ。
そのほかにも、
- 開発者⇒国
- 運用者⇒行政
- ユーザー⇒国民
に当てはめてみたり、
- システムは「作ったら終わり」じゃなくて継続的な見直しや改善が必要だったり
- アジャイルな開発がいいものを作るのに向いてたり
- 運用しているものでもコストに合わないなら(一部の利用者には代替手段を残しつつ)システムを廃止するなどのリストラが必要だったりと
ほぼ置き換えが可能で、ベストプラクティスが積み上げられているんじゃないのかなーと思いました。
という事で、「開発の各プロセスにおいて手法が洗練されてくると、国づくりもうまくいくようになるんじゃないかなぁ」という結論。
ただ一つ(かつ一番重要な)違う点は、経営の判断基準は利益だけど、国の判断基準をどこに置くかというところ。これが定まってないと、開発者の立場としてはうまくいくわけないなーと思ってみたり。
そんな感じー。