土用の丑の日って何だろう?

毎年、夏に熱くなって夏バテがくる頃、うなぎの宣伝文句として「土用の丑の日にはうなぎ!」なんて言いますが、土用の丑の日って何だろう!? と前から思っていた疑問を調べてみたので子供とシェア。

まず、土用というのは「土曜」じゃないんですね!知らなかったです。。
土用は 四季それぞれの期間の最後の18〜19日を指す言葉 で、丑の日というのは日の干支、十二支「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥(ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い)」のうちの丑(うし)をあらわす日だそうです。
2009年だと、土用の入りが7月19日、土用の明けが8月6日で、そのうちの7月24日と12日後の8月5日が丑の日だそうです。
なーるほど。


ちなみに由来は、

江戸時代中後期になってから。売り上げ不振に悩んだウナギ屋から、相談を受けた平賀源内が「今日は土用の丑の日」と書いた張り紙を出して宣伝し繁盛したそうです。

だそうです。

■ うなぎリンク

大学生の頃からほぼ毎年、静岡の三島にうなぎを食べに行っていますが、ここ数年は「桜屋」というお店に行っています。

今年も行くのかなー。楽しみだ。


そんな感じ。

マニフェストメーカー

どんなツールにしたいかネーミングなどを考えていた時に、実はマニフェストメーカー」というネーミング案もありました。もしかししてこんなツールってあるのかなー、と今googleで調べてみましたが、ヒットしませんでした。
やっぱり無いのかなぁ、人文系のwebツール。


各人が考えた憲法や、法律などを作る wikipediaのようなもの+差分を管理してくれるツールを考えていました。基本的な考え方はブログロジックと一緒です。

  • 日本語の(文章の)Trac、(文書管理ではない)ウェブツール
  • マインドマップのようなツリー構造
  • 原因と、それに対する対策の説明をつけられる
  • アグリーできる人だけが、良くする方向にだけ上書きできる (作った人がチーフコミッター)
  • 足を引っ張り合わない
  • 群集の英知を皆で共有する
  • 常に変化が求められるモデルチェンジに対応する
  • Newsingのように書き込みがポータルの記事に出てきてポイント付けられる

など。


"マニフェスト"というと、アイデアではなくて公約的な意味になってしまうので個人がアイデア出しに使うにはちょっとアレですが、実際のマニフェストって分かりやすくないですよね。比較しやすくもないし、そもそもPDFだったりして気軽に見る気が起きないとか、そもそも作っている人も限られるとか。。

マニフェストとして掲げた内容も、(今回の経済危機のように)情勢が変われば優先順位も変わるし、内容もリアルタイムに変えていく必要があると思います。
「公約を変えるのはいかがなものか」という人もいるでしょうけど、僕としては前のエントリーで書いたように、環境に対応しない内容を固持したままでいるよりは適切な内容・適切な目的に変えていった方がいいと思うし、変えるのが悪いのではなくて、履歴がきちんと残っていさえすればどんどん正しい方向に変えていくべきだ*1と思うんです。


こんなツールがあったなら、例えば東国原さんのように政治を志す人はマニフェストを作りやすくなるでしょうし、Chikirinの日記のちきりんさんは独特の分かりやすい切り口でズバッとアイデアを書いてくれるでしょうし、雑種路線でいこうの楠木さんはITから見た日本の政治や労働などの解決案を作ってくれるでしょうし、分裂勘違い君劇場 by ふろむだの分裂勘違い君はみんなが唸って納得するようなとても深い階層の論理ツリーを作ってくれるのではないか、と思っています。


また、ブログロジックはこんな用途にも使えると思っています。

  • 社会のしくみ改善 (マニフェスト)
    • 道路、車、交通
    • NHK
    • 学校、教育
    • 医療制度、介護
    • みんながいきいきしてる10年後の日本(国家像)など
  • 評論家、分科会、フォーラムでの討論、ロジック組み立て
  • 勉強会のまとめサイト
  • 自分用まとめサイト


まぁ、作ったところで使ってもらえるツールになるかどうかは、また別の話ですが。。

そんな感じ。

*1:プログラミングでは、リファクタリングといいます。

ツールイメージ

ブログエントリーをノードとした、"論理ツリー"とか"論理ネットワーク"とか言っていますが、たまたま偶然開いたページで"ロジック・ツリー"という言葉を見つけたので、調べてみました。

おー、まさしくこんな感じですね!
ブログをベースにしてこのような論理構造を視覚的に把握できるようになると、文章でロジックを組み立てるよりも分かりやすく、問題も客観的に見れるようになって、思い込みも少なくなるんじゃないかと思うのです。
紙で表す場合はどうしても2次元になってしまうけど、論理ツリーはいくら次元が多くても問題ないし、見る人がそれを把握できればいいだけだから
次元はいくらでも作れるようにしようと思ってます。


webツールなので、基本的な言語構成(HTML + CSS + javascript/Ajax)で。

作成時には、

  • 編集しやすい、直感的なUI
  • ブログ並みの簡単UIで論理構造を作れる
  • 上位の目的や問題から分岐した論理ツリーも作れるし、逆にベースとする思考の積み上げによっても作れる (トップダウン or ボトムアップどちらでも対応)
  • まとまっていない思考も単独で存在できる
  • タグ付けによる思想エリアの疎結合(参照)
  • ノードの内容はブログロジックで保持してもいいし、参照先のブログエントリーでもいい。

Viewerとしては、

  • 1つの論理ツリーはマップのようになっていて、全体を俯瞰できる
  • 他人が持っている似た文脈のマップ(論理ツリー)も参照できる
  • 詳細を見る前に、概要を見ることができる
  • 概要を見ているときは、矢印キーで移動できる(ゲームコンソールのように)
  • Enterを押すと詳細(のブログエントリー)へ

難しいと思うけど(てゆーか自分じゃたぶん作れないけど)、いろんな検索結果を雑然と表示する検索サイト→http://www.spezify.com/のようにwebのUIはまだまだ使いやすくなるはず。


うーん、自分で書いておいて「ハードル高いなぁー」とは思うけど。


そんな感じ。

ツール構想

日本をよくするための思考共有ツール(仮)は、こちらのWebツールのネーミング - バランス至上主義、そんな感じ。によってめでたくブログロジックという名前がつきましたが、今イチ進んでないので今日はツールイメージを進めたいと思います。

ブログロジックに関する今までのエントリー


ツールの具体的な実装イメージを頭の中に作り上げてしまう前に、実現したいことについて具体化せず、概念的なレベルで考えてみた事を思いつくままに書いてみます。

■ ブログロジックのイメージ


ブログツールの進化系で、ブログと共存するもの。


個人が書いたエントリーを"世の中の意見を構成する1つの意見"として、誰もが参照できるようになる。ブログのエントリー間を意味でつないで、好きな大きさのエントリーネットワークを作ることができる。そのことについて勉強したい人(たとえば子ども)が、ネットワークのノードや末端にあるリンク先のエントリーを参照して読み進んでいくと、知識を深められるような学習環境を提供するもの。
これはSEOがなされてて、皆が見つけやすい状態にある。
ネット上に作成される論理ツリーを見ることができて、管理することができるツール。


"それ"はウェブ上に存在しているニューロンネットワークのようなもの。
論理ツリーからもブログエントリーを参照できるけど、エントリーからも本体の論理ツリーを参照できるようになっている。環境の変化により論理ツリーの意味的な構成が変わったとしても、エントリー先を付け替えることによって最新の状態に簡単に修正できる。
修正は簡単にできるけど、Tracの履歴のようにツールが変更を管理してくれる。


ブログを書くように、簡単に1人が好きな数だけ自分の論理ネットワークを作ることができて(ネットワークの接続先は他のブロガーか書いたエントリーや、記事なんかでもいい)、考えが近いネットワークを持つ人同士が互いにブラッシュアップしたり、他人は(ブログのコメント機能のように)コメントをポストすることができて、その意見を気に入った場合は受け入れたりすることができる。
1つの論理ネットワークが、1つのWikipediaのような皆で作る集合知となるもの。
1人が複数の体系(論理構造)を、好きな粒度で作れるようなツール。


これがあると、世の中にあるいろんな立場での意見を、体系として共有できるようになる。
このツールをみんなが使うようになった結果、日本中にいる、それぞれの個人が思っていることや考えていること、意見をもっと皆が知ることができて、共有することができるようになる。


まとまってないけど、そんなツール。


そんな感じ。

定期の不満を解消する1つのアイデア

電車通勤で、カバンの中にネットブックとケータイと財布と定期入れと....いろんなモノを持ち運んでいて思ったこと。

電車通勤で定期を持っている人は、パスケースとかに入れてますよね。で、定期とかSUICA/Pasmoとかを持ち歩いているけど、これってもっと改良できるんじゃないの? って話です。
不満な点は、こんなところ。

  • 忘れるとちょっと痛い
  • 持ち運ぶのが面倒
  • 改札を通るたびの出し入れが面倒

SUICA/PasmoみたいにIC化されてしまえば、ケータイのFelicaに統合されているように、もうカードサイズである必要はないと思います。
なんでカードサイズかというと、こんな理由じゃないでしょうか。

  • 無くさない大きさで
  • かさばらないから

でもICチップは1円玉ぐらいの大きさしかないのだから、もっと小さくできると思うんです。
で、ポイントとなるのは以下の4点だと思います。

  1. 無くさない
  2. 忘れない
  3. 持ち歩くのにじゃまにならない
  4. 取り出しやすく/しまいやすい (←改札で出すので)

持ち歩く必要はあるけど、容積はほとんど必要なくて、指輪程度の大きさでいいと思うんです。
それこそ指輪だったら、無くさないし、改札を通るたびに出す必要もないし、持ち運びのじゃまにならないし、かつセンサーにもタッチしやすいしいい事ばかりかと。
そんな感じで、もう「カバンからパスケースを取り出す」という考えは置いといて、身につけられるようにすればいいんじゃないかなーと思うわけです。

例えば、ICチップを入れられるおしゃれなアームバンド(iPodのケースのようなシリコン素材でできたバンド)を作ってみたり、同じシリコン素材でも、ケータイなど自分の好きなモノに貼り付けられるエンブレム(中にICチップを入れられる)を作ってみたり、ICチップのケースを、楽しんで、便利に持ち運べるようなアクセサリーを作ったらいいんじゃないかと思うんです。
ブランドや、クリエイター、アーティスト、キャラクターなんかとコラボしたりして、みんなが自分の好きな感じのグッズを選べるような風にしたらいいと思います。

そうしたら、1、3、4番の課題はクリア。かつ選ぶ楽しみや個性もあって楽しいと。


あと、チップが1つである必要もないと思うんです。
いっぱい持ってても、無くしたものを無効にすればいいだけだから、チップはいくつでも買えるようにすればいいと思います。そしてかつ、同時にいくつでも使えるようにすると。これはチップ間で残額が共有できればなおいいと思います。
でも落とした時の事を考えて、それらのチップを一斉に無効にできるようにしておけばいいと思います。(契約者IDに紐づいたチップを全て無効にする) 一斉に無効にしても、自分が持っているものについては、暗証番号を入れれば1つづつ有効に戻せると。


こんな風にしたら、個人は好きなグッズで定期を持ち運べるようになってうれしいし、いくつも買えるから定期忘れとかないし、出し入れもしやすくてナイスだし、いい事だらけかと。
企業としてみればグッズも売れるし、ICチップも売れるし、こちらもいい事だらけかと。


こんなAll-winプラン、どうでしょうか?


そんな感じ。

日本のWebが残念なのは、実社会が残念だから

梅田望夫さんのインタビュー記事 日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) (1/3) - ITmedia NEWS に端を発した日本のWebが「残念」な件について、僕がとても共感したのはAMN徳力さんのエントリーです。


日本の"Webが"残念というけれど、Webに流れ出てくる言葉はそれをサポートするシステム(環境)を含めて日本に生きている人たちから発せられるものだから、「日本のWebが残念=日本の実社会が残念」という事と同じじゃないかと思います。もちろん、ネットのリテラシーが高い若い人たちが母集団だという偏りはあるだろうけど。


という事なので、日本のWebが残念な件で僕が思うこれじゃないかな? と思う「残念」の根本的な理由は、"日本のウェブでの発言が、ナチュラルポジションを基準としたらネガティブ寄りの発言が多いから"じゃないかと思うのです。

ワイドショーや週刊誌なんかのマスメディアも全部そうだけど「こんなひどい事をしている (けしからん!)」とか、「こんな癖がある (公人としてなってない!)」とか、他人をバッシングする情報であふれてると思うんです。
僕個人としては、こういった他人を攻撃する言葉やスタンスは嫌いなので、電車の中吊りを見るたびにげんなりするんだけど、みんなはこういうの好きなのかなーといつも疑問に思います。
ブログに対するコメントとかでも、「わかってない (知らないくせに知った口利くな!)」 みたいなネガティブなものが多いと思います。
多いというのは誤解かもしれないけど、割れ窓理論でそういったネガティブな発言っていうのは数が少なくても目立つし伝染するから、少ないに越したことはないと思うんだけど。


もちろん批判自体が悪いってわけじゃないです。
悪い点を指摘すること自体はいいことなんだけど、非難で終わってしまってはそこで思考停止してしまうから、指摘するだけでなくて「どうしたら良くできるか」という考えとセットで言ったらいいんじゃないかと思います。
つまり、
 「今はこうなっているからダメ
ではなくて、
 「今はこうなっているけど、ここをこうすると良くなると思うよ
という風に言ってあげることはできないものかなぁ、と。


会社なんかでも「建設的な提案を伴わない批判はただのヤジ」と言うけれど、まさしく社会全体がそんな状態じゃないかと思うんです。なんと言うか、日本の社会全体が総じてコーチング力がないというか、加点法で判断してあげないというか、ポジティブでないというか。

でもこれは、日本の村社会から受け継がれてきた思想で、遺伝的に染み付いてしまっているものじゃないかと思うのです。だから、まずは自覚しないことには変えられないものではないかと。
日本式の思想にはもちろんいい所がいっぱいあって(いやむしろいい所の方が多いと思う)、他人に対する思いやりとか、礼儀とか、和を尊ぶ精神とか、とても大事なものは一般教養として皆が心の底に持ちつつも、人を"ほめて伸ばす"という思想を持つことが大事なんだと思います。

この思想を日本社会として持つことができたなら(個人がこういった思想を持つように教育とか社会の仕組みをつくることができたなら)、他国にはまねのできない素晴らしい社会になる気がするんだけど、どうでしょうか。


日本のWebに溢れ出る発言が、「ここがダメだね。でも良くしなくっちゃね!」とか、「ここがダメだけど、こうしたらもっとよくなると思うよ」とかすべてポジティブな発言で溢れると、その結果がポジティブに回りだして、結果として日本が残念じゃなくなると思うのです。


だからね... 皆がその思想を良しとして、そうなるように社会の枠組みを作っていきましょうよ!


と、言った手前無理やり提案ふうに言ってみた。

そんな感じ。

文章はパワーだよね

またもやだいぶ前に見た文章で、どこで見たのかを思い出せず残念な感じのエントリーで申し訳ないのですが、確かに!と思ってとても印象に残っている考え方について。


それは、"人間が生み出したもの(他人に伝わるもの)にはパワーがある"という内容です。


分かりやすい例で言うと、例えば音楽。
ただそこにCDとして存在するだけでは人に対して何の影響も与えないけど、人は音楽を聴くと元気にもなるし、気が晴れたり勇気付けられたりもします。つまり、たとえ録音されてデータ化されたものであっても、声として聴く人の耳に届けばそれは"パワーを持つもの"と考えられるということです。声や映像など、人が体感しやすいものでなくても、手紙や文章などもそのうちに入るということ。
例えば、こんなものがあります。

  • ライブ、コンサート、劇
  • 映画
  • テレビ
  • CD/Music
  • イメージ(写真、絵画、マンガなど)
  • 自筆の手紙
  • データ化された文章(本、ブログなど)

受け手がよりリアルに感じることができるほど、そのパワーも大きいということです。
ちょっと想像してみれば分かりますが、"死んだおばあちゃんが書いた自筆の手紙" と "印刷された文章" では、たとえ文章の内容が同じでも、"おばあちゃんが、確かに自筆で書いた手紙"のほうが受け手としてリアルに実感できるので、そのパワーが大きいというのもうなずけます。


ブログに載せる文章はデータ化された文章なので"パワー"という面では弱いけれど、それを見て少しでも何かを感じる人が1人でも居たり、その考えに共感する人が1人でも居たり、その考えを知りたいと思う人が1人でも居れば、それは十分書くに値する文章じゃないかと思うのです。


僕はこの文章を通じて、子供に、自分が伝えたいと思っていること、大切だと思っていることを少しでも伝えられたらいいなぁ、と思います。


そんな感じ。